刮目呂蒙のブログ

都内在住の30代男です。時事問題や生活改善情報から、自分の周りのことまで。たまに持病(潰瘍性大腸炎)のことも。

『麒麟がくる』最終回とか

こんにちは呂蒙です。

最近は潰瘍性大腸炎で体調がよくなく、下痢の回数が1日10回以上となっています。

なので特定のテーマではなく、今日の振り返りを少々して寝ることにします(たぶん夜中もトイレに起きますが)。

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目次

1 『麒麟がくる』最終回

最終回はちょっと尻切れトンボだったかなと思いました。

ライトな視聴者のためか、本作の明智光秀織田信長の今までの関係を丁寧におさらい。

ちょっと私の読みと違って、信長自身も自分が変わったことを認識していましたね。

最終回前の私の読みはこちら。

katsumoku.hatenablog.com

 織田信長は昔は人の心の分かる方だった?

信長は、自分が変わったのは光秀のせいだと話していました。このあたりは帰蝶の認識と同じ。分かりやすい構図にしている印象でした。

それ以上に驚いたのは、光秀が、信長様は昔は人の心の分かるお方だったのにと話していたこと。光秀からはそう見えていたの?という感じでした。信長は、松平広忠の首関係とかの親とのエピソードなどからしても、人の心は最初から分からない感じで一貫していたのかなと思いましたが、光秀目線とそれ以外とで描き分けられていたかな?と。

織田信長にそういう「変化」があったという設定は読めなかったので、信長が変化を自覚しているという作りも読めませんでした。

 信長と光秀の隙間風、謀反のおそれが市中の噂に?

また、もう一つ意外だったのは、明智光秀が今にも織田信長に叛意しそうだと京の市中や宮中にも広まっていたという設定。近衛前久正親町天皇にもしもの場合の選択を上奏し、徳川家康明智軍の行き先をおおよそは察知していたという。

そうだとしたら、いままで何かと耳が早く危険を察知してきた信長が、いくら羽柴秀吉が側にいないからといって、そういう噂を耳にしないはずがない。まして、光秀は、信長の「大きな国を作る」という共通の志と「2人でお茶を飲む」(笑)という平和な未来に基づく命令であっても、足利義昭を討てないという返答をしたばかりです。なぜ備えをしなかったのか信長。光秀が好きすぎてあり得ないと思ったということかな?それだと「是非もなし」じゃない気もしますが。

 

 その他の気づき

  細川藤孝とか

長年の盟友、細川藤孝が味方に付かなかったのは、史実とはいえ、本作でも仕方ないと思いました。ちょうど本能寺の変前の光秀と藤孝の会話は、途中で便意が来てトイレに入らざるを得ず、光秀が「将軍様は討てない、信長様を再度説得する」と言ったところまでしか見られなかったので、正直細部は分かりません。ですが、藤孝からすれば、兄の三淵藤英を裏切ってまで、長年使えた足利将軍家の義昭を捨てて信長に付いた立場ですから、今更光秀が義昭に未練を残しているのが逆に理解できないと考えても仕方ないでしょう。筒井順慶とは大して絆を描かれておらず、むしろ大和に関しては松永久秀と親しかった設定だったのでなおさら味方になってくれなくても仕方なしですね。

  長宗我部

史実では光秀の重臣斎藤利三と縁戚関係のあった長宗我部との「身内同然」の関係は、最終回で唐突に出てきました。明智光秀が窓口となって長宗我部元親に四国の「切り取り次第」を約束していたなどというような具体的な話は出てこず、羽柴秀吉の言いがかりに基づいて光秀不在で信長が四国征伐を決めてしまったというような描き方になりました。最近有力な四国説の扱いが小さくてちょっと残念でしたね。これもコロナで尺が短くなった影響かもしれません。

  山崎の戦い

光秀が劣勢となって羽柴秀吉に敗れたというナレーションのみでした。信長が非道で光秀を頼りにする人が多く、光秀を有力視する見方が宮中などでも強いという流れで、なぜ光秀に味方が少なかったのか、描きにくいところではあるでしょうが、もう少し丁寧に描かれてもよかったかなと思います。主人公が負けて落ち武者狩りで死亡するのはあんまりだという見方もあると思いますが、そこをあえて真正面から描いて光秀の死に際をしっかり料理したほうが、きちんと重厚感を持たせてきた本作に相応しい終わり方だったのでは。それこそ菊丸は死に際の光秀に寄ってきて、徳川家康麒麟を託されるとかでもよかったはず。他にも、明智左馬助の城明渡しのエピソードなども描き甲斐はあったと思いますし。

 

 麒麟はこなかったのか

光秀は、麒麟を呼ぼうという志を持っていて(足利義昭の後日談)、本能寺の変を起こしたという描き方でしたが、負けてしまいました。

麒麟がくる平和な世を菊丸を通じて徳川家康に託すという部分は一応描かれましたが、その未来をもう少しはっきり描いてもよかったのかなと思います。つまり、山崎の戦いの後、1585年の東庵・駒の後日談と光秀(の幻?)を見る話ではなく、徳川家康の将軍就任などのシーンでもよかったかもしれません。さすがにそこまで繋げるのはどうかという考えもあったのでしょうが。麒麟がこなかったように見えるリスクを抱えつつも、余韻をどう残すかという文学的な部分で、難しいところですね。

 

ともかく、『麒麟がくる』の最終回はいろいろ尻切れトンボだったなあというのが私の視聴直後の感想です。染谷将太さんの信長の本能寺は、敦盛はなかったけど、すごくよかったんですけどね。奮戦ぶりが若かったですね。

 

2 池江選手復帰後初の表彰台

競泳の池江選手がジャパン・オープン女子50m自由形で僅差の2位。24秒台を出していました。復帰後初の表彰台とのこと。

news.yahoo.co.jp

本当におめでとうございます。

前にも書きましたが、池江選手の活躍は白血病はもちろん、その他の闘病中の人にも本当に力になっているでしょう。私も本当に力にさせてもらっています。

katsumoku.hatenablog.com

潰瘍性大腸炎は難病ですが、白血病よりは大変じゃないはず。そう思うと、池江選手の頑張る姿を見て、自分も頑張れるはずだと自然に思えるのです。この自然に思えるっていうのがすごいことで、自分に言い聞かせる必要がないのです。同じ潰瘍性大腸炎の人の活躍も耳にするのですが、どうも私は重いほうみたいですから、この人は自分より軽かったのかなとか考えてしまって、自然には自分の力にならないところがあります。

池江選手、本当にこれからも応援しています。