刮目呂蒙のブログ

都内在住の30代男です。時事問題や生活改善情報から、自分の周りのことまで。たまに持病(潰瘍性大腸炎)のことも。

『麒麟がくる』最終回を前に

こんにちは、呂蒙です。

今回は、NHK大河ドラマ麒麟がくる』の最終回を前にした感想などを徒然と。

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キャストについて

麒麟がくる』は私にとって『真田丸』以来のヒット大河となりました。

特に織田信長染谷将太さんがいいですね。合理主義ながら人の気持ちを汲めず、(母)親の愛情を得られずに育った承認欲求の塊という新しい信長像を大変上手に演じておられます。現代でいうと発達障害のような感じですね。最初はどうなのかなと思いましたが、確かにこれが「土岐源氏」で儒学の教養もある、元足利将軍の奉公衆の明智光秀から見た、尾張の金持ち守護代庶流の二代目・信長という感じでしょう。確かに「将軍は帝の門番」などと言いそうです。父信秀の代から描く設定も丁寧だし、演技も説得力があって、歴代最高の信長かもしれません。

一方の長谷川博己さんは、理知的で口を開けば率直ながら口数は多くなく、志の高い明智光秀を見事に演じておられます。ただ、なんとなく既視感もあります。TBS日曜劇場の『小さな巨人』の香坂真一郎役に似ている気がするんですね。香坂は正義感が強く、理知的で基本は有能な刑事でしたが、推理は論理的なようでいて肝心なところを外しまくっていました。ここが、佐々木秀吉の配下に松永久秀との密会をまんまと尾行されたり、秀吉に大口をたたいた挙句に荒木村重を説得できなかったり、本能寺の変のあと細川藤孝筒井順慶の意向を読めずに助力を得られなかった光秀にオーバーラップしてくる気がします。

他にも、谷原藤英、ユースケ義景、伊藤義龍、村田一鉄、向井義輝など印象深いところです。

ストーリーについて

思い返すと、このドラマの光秀は、上記のような信長を桶狭間の勝利に立ち会って褒めたり、金ヶ崎の引き際では励ましたりして、大変上手に信長の懐に入り込んできました。なかなか他人から欲しい態度を得られない信長にとって、帰蝶と並んで最大の理解者であった光秀を頼りにするのは必然の流れでしょう。

しかし、もともと「大きな国を作る」話を笑顔でしていたときから、二人の会話は微妙にずれていました。

信長は、当時から、戦に勝って褒められたい気持ちが強く、戦が嫌いではなかった。基本的に戦に勝ち続けることで結果的に、光秀の言う「大きな国」を作るという意識。その先は特に考えておらず、「大きな国」を作るための戦に手段は選ばない。徹底的に勝つためには女・子供も必要なら殺してしまう。

一方の光秀は、少なくとも金ヶ崎の戦いで「必要な戦」に目覚めるまでは、できる限りあまり戦をしたくない様子でした。戦のない世のための「大きな国」。したがって、あくまでその手段である戦で、罪のない女・子供まで殺したくないわけです。

そんな光秀も、「信長とならそなたやれるかもしれぬ」という斎藤道三の遺言に従って、戦のない「大きな国」を作るためのバディとして、帰蝶と共に織田信長を盛り立ててきました。

光秀は、できれば、おそらくは土岐源氏の武士として、それからドラマで明確に描かれていたところでは儒学を学んだ者として、足利将軍を頂点とする秩序の下に、信長の実力でもって天下を平穏に安んじたかったところでしょう。しかし、足利義昭摂津晴門などに翻弄されて幕府の悪弊を破れなかった上、光秀よりも早く信長と性が合わないことを自覚して袂を分かってしまった。光秀としては、仏像を破壊して将軍御所を作るようなズレた感覚の信長には危うさを抱きつつも、自分がバディならなんとか操縦できると期待していたため、義昭にはなんとか信長の上の立場に鎮座していてほしかったのでしょう。しかし、義昭は虫も殺したくないような現実離れした理想を掲げつつ、信長と性が合わないことをもって他の大名を巻き込んで戦を拡大する方向を選んでしまいました。光秀は、義昭の下で信長と大きな国を作ることが叶わないとなったら、いったん、義昭と三淵藤英を見限って信長を選びました。

しかし、義昭を追放した信長は、光秀の想像を超えて大きくズレていきました。光秀が「信長を説得する」などと言ってはみるものの、思ったとおりにならないことが増えていきます。そして、そんな信長を見限る動きも増えていきます。松永久秀しかり、荒木村重しかり、波多野秀治しかり、佐久間信盛しかり。このあたりは、おそらくコロナの影響で数回削られ、端折られた部分だと思うので、できれば完全版で見たかったところです。そして、光秀は、時の帝からも信長が月に上らぬよう見届けることを期待され、信長自身からも嫉妬交じりの暴力を受け、逆に徳川家康にこそ理想の統治者像を見出だしたりもして、だんだんと気が変になり、奇妙な夢をみるようになってきています。帰蝶からは、織田信長をここまで担ぎ上げたものの責任として、暗殺することを示唆されてしまいます。もともと、光秀は独力では何の力もない武士でした。丹波・南近江の大名となり、惟任日向守となれたのも、信長の軍団に入ったおかげ。冷静になれば、信長あっての光秀ということは分かるはずですが…。

いよいよ本能寺

いよいよ本能寺が明日に迫ってきました。

ここまでくれば、「仁のある政治をする為政者が現れると降り立つ聖獣・麒麟を呼ぶのは、一体どの戦国武将なのか」というドラマの大筋が浮かび上がってきますね。

光秀は、まず信長と大きな国を作ろうとして、「仁のある政治をする為政者」を足利義昭とし、次いで、信長自身を「仁のある政治をする為政者」としようとすることで、麒麟を呼ぼうとしていたのだろうと思います。しかし、自分が半生を掛けて行ってきたこれらが叶わないとあって、おそらくは徳川家康を「仁のある政治をする為政者」とすることを夢見つつ、そのために、家康の「怖い存在」である(丹羽長秀らも家康の暗殺を企てようとしていた)織田信長を排除しようとするのかもしれません。

信長からすれば、自分が変わったとは夢にも思っておらず、光秀と若き日に誓った「大きな国を作る」ことを自分流に実行しようとしてきただけでしょうから、最近は光秀と意見が違うことが増えていたとはいえ、寝耳に水に近いところでしょう。染谷信長に用意された台本と、その解釈を施した演技が見ものですね。