刮目呂蒙のブログ

都内在住の30代男です。時事問題や生活改善情報から、自分の周りのことまで。たまに持病(潰瘍性大腸炎)のことも。

大川慎太郎『証言 羽生世代』(講談社現代新書)は将棋ファン必読の書だ

目次

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1 私と将棋

 私はいわゆる「観る将」だ。

 プロ棋士が将棋を指したり解説したりしているのを見るのが好きな将棋ファンだ。

 自分で指していたのはほぼ小学生までで、その後は、20代の2年間の出向時代に当時の同僚と少し指した程度である。

 地元の将棋大会で銀賞を取ったこともあったが、おそらく棋力はアマ初段~2段程度である。

 これくらいの棋力の人は皆、プロ棋士たちのあまりの偉大さに、大いなる尊敬の念を持っていると思う。

 私はそれなりに良い学歴を持っているという自覚がある。しかし、自分が才能的に優れていると思ったことがないのは、もちろん周囲に自分より優秀な人がたくさんいるというのもあるが、もっと根本的には、本当の天才であるプロ棋士の人たちの頭脳に比べれば雲泥の差があるという実感があるからだ。

2 私と羽生世代

 私は誕生日が渡辺明名人と1か月違いだから渡辺名人も応援しているが、特に羽生世代の棋士たちが大好きで、羽生善治九段の一般向け書籍はほとんど全部読んでいると思うし、数冊は今でも蔵書している。一般には新書の『決断力』(角川oneテーマ21)が売れているが、私は羽生善治の思考』(ぴあ)が好きだ。東急将棋まつりで羽生九段を生で見たときは本当に感動した。後光が差して見えた。

 森内俊之九段の本も読んだし、YouTubeの森内チャンネルも全部見ている佐藤康光九段の本も読んだ。先崎学九段の『うつ病九段』(文藝春秋)も漫画で読んだ。

 ついでに、将棋ペンクラブログの記事も、羽生世代のものはかなり目を通していると思う。特に郷田真隆九段のエピソードがカッコよくて好きだ。他にも、藤井猛九段、丸山忠久九段と、挙げればきりがない。

shogipenclublog.com

 そんな私が表題の本を読んでも、冷静な書評などできるわけもない。だから、これは書評ではなく、ただの私の感想である。

3 よくぞまとめてくれた

 本日読了した感想は、「よくぞまとめてくれた」。これに尽きる。

 著者・大川慎太郎さんについて

 著者大川さんの前著『不屈の棋士』(講談社現代新書も読んだが、大川さんはファンが棋士に聞きたいけど聞きにくいことを、棋士への礼を失しないようにしつつ、よく踏み込んでくれる。

 だから今回も発売前から期待していた。テーマが大好物だから誰の著作でも読んだだろうけれども、大川さんということで期待値が上がっていたところ、その期待に見事に応えてくれた。

 マニア垂涎の人選と取材内容

 羽生世代の取材でよく挙がる羽生九段、森内九段、佐藤康光九段や、藤井システム藤井猛九段、羽生世代に対峙した棋士としてよく挙がる谷川浩司九段、渡辺名人、有名な島研の島朗九段の取材記事を改めて読めることももちろん嬉しい。

 けれども、私のようなマニアにとっては、棋士の誰に聞いても研究会の名前が挙がる室岡克彦七段や、同じ羽生世代の超強豪の一人なのになぜか取材記事が多くない郷田九段の記事を読める喜びが大きかった。

 予想はしていたが、郷田九段の記事はやはりカッコよかった。佐藤康光九段の記事にも同じようなエピソードがあるが、若いころ将棋以外何もしないというレベルで死ぬほど努力したエピソードが私は好きだ。将棋界にとっては、AIとの共存を余儀なくされる難しい時代だが、天才が純粋にその道一筋で努力精進できる、そういう尊いことを経済的、社会的に可能にするプロ棋士の制度を今後も長期的に存続できるよう、しっかりマネタイズしておいてほしいと思う。

 郷田九段が実は勝負弱いことを自覚されているというのも興味深かった。ファンからすれば、一度でいいから名人になるチャンスを活かしてほしかったし、郷田九段が挑戦者決定戦まで行きながら惜敗されるのを何度も見て、悔しい思いをしてきた。そこについてご本人から言及があるとは思わなかった。先述したカッコよさも含め、気になる人は是非買って読んでほしい

 欲を言えば、羽生世代の丸山九段や、少し下の世代の三浦弘行九段の取材記事も読みたかったし、やはり羽生世代といえる故村山聖九段のエピソードがもう少し聞きたかった気もする。が、飯塚祐紀七段の記事も何気によくて、取材対象の選定への思慮を感じたし、あとがきで木村一基九段の話も出てきたし、これ以上望むのは我儘だろう。

4 本書の主題についての私なりの考察

 本書の主題は、「羽生世代になぜこれほどの強豪棋士が揃ったのか」。羽生さんしか知らない人はWikipediaにでも当たってほしいが、まさに奇跡の世代といっていい。

 主題だけあって、大川さんは取材したすべての棋士にこの質問をぶつけていた。そもそも子どもが多かった、若き谷川九段の活躍が子どもたちのプロ将棋界への敷居を低くしていた、他の娯楽が少なかった、など、様々な回答が試みられる。が、多くの回答は、どうも羽生世代の下に大きな「谷間の世代」があることとの差異をあまり説明できていないような気もした。やはり、佐藤康光九段、森内九段、郷田九段が言うように、同世代である「羽生九段の存在」が一番大きかったのではないかと思う。圧倒的な活躍、技術の開示、努力の継続、自然で謙虚な振る舞い・・・これらをすべて兼ね備えた羽生九段が将棋界を引っ張ってくれたことが、羽生世代ひいては将棋界にとって一番の幸運だったのではないかと思った。

 もっとも、何が真の正解かを科学的に導くのが本書の目的ではない。そういったファンの関心の高いテーマを通じつつ、羽生世代を取り巻く棋士たちの魅力的な姿を描こうとしたのだと思う。そして、その試みは見事に成功していた。

 この本は、全将棋ファン必読の書だと言いたい。藤井聡太二冠の活躍を機に将棋ファンになった方にとっても、先駆者・羽生善治九段と羽生世代の棋士たち、そしてそれを取り巻く他の棋士たちが、魅力的な将棋界を作り上げていたことが分かって有用だろう。たぶん。

5 将棋界の今後への雑感

 今後、AIとの共存を余儀なくされる将棋界は、AIが示す「正解」の存在を常に意識しなくてはならない状況になった。そのような中で、プロ棋士の個性が見えにくくなったような気もしている。

 藤井聡太二冠とライバル候補たち

 藤井聡太二冠は、久しぶりに現れたスーパースターで、人格的にも羽生九段の後継者として申し分ない振る舞いを見せてくれている。また、PCや将棋ソフトにも詳しく、いわゆるブラックボックスであるAIの読み筋や評価値の理由を自分なりに考え抜いて棋力を高めていくという、時代に即した新たなプロ棋士のスタイルを身に付けており、18歳にして既に死角がない。だが、藤井聡太二冠に対抗し得る別のスタイルを搭載したライバルが見当たりにくいのが気がかりだ。

 渡辺名人は、ご本人も述べるとおり年齢が離れすぎているかもしれない。しかし、ご本人が昨年の棋聖戦で実感したという終盤力の差はともかくとして、才能的には一番互角に戦える人だと思うので、しばらくは立ちはだかってほしい。年齢的に休養が重要になってくるのは同い年なので承知しているが、1回目の緊急事態宣言下では対局がないのでゆっくり休んだという渡辺名人に、是非さらに本気で将棋に打ち込んでみていただきたいというのがファン的な希望だ。

 永瀬拓矢王座は、人間同士のVS研究を重視するアナログ派で、壮絶な努力を積み重ねる古いタイプの棋士であり、スタイル的には藤井二冠と対照的だ。しかし、いかんせんご本人が謙虚すぎて、藤井二冠を崇めるかのような姿勢を藤井二冠にもファンにもあからさまに見せているのがファン的にちょっと残念に感じる。藤井二冠との研究VSでよほど力の差を感じているのかもしれない。が、羽生九段に果敢に挑み、名言を残している深浦康市九段、行方尚史九段のような骨っぽさが欲しいし、森内九段のように、羽生九段との力の差を内心感じつつも、付かず離れずの距離感を保ち、対羽生戦に特化した準備をして対戦成績的に好勝負を展開したのを、藤井二冠相手に再現してくれればと願う。

 豊島将之竜王は、対藤井二冠戦でいまだ無敗であり、謙虚な発言をしつつも簡単にはやられないぞという自負も感じるし、電王戦でAIに勝利しつつ、AIを使った研究を早期に始めたその道の第一人者であり、VSを再開するという話もあるし、期待したいところだ。昨年の羽生九段との竜王戦では、体調を崩した羽生九段との手紙のやり取りのエピソードなどで、人格的にも優れたところを示した。ただ、羽生世代好きとしては、やはり豊島竜王の序盤の進め方というか、研究合戦の申し子みたいなところにまだ抵抗感があるといえばあるのだが、それはこちらの慣れの問題なのだろう。

 ファンが棋士に期待すべきことが変わってきたか

 いずれにしても、私たち「観る将」のほうも、AIの存在によるプロ棋士同士の対局の見方や、プロ棋士への期待を、変えていかなければならない面があるのだと思う。

 昔のように、「自分こそ誰よりも将棋を、あるいはこの戦法を勉強しているのだ、だから誰にも負けぬ!」といった気骨ある姿を期待するのは難しくなったのだろうと思う。どこまで行ってもAIのほうが強いのだ。そして、AIが示す最善手を高確率で指し続けられる棋士が人間の中で最も強く、そういったことを踏まえたレーティングで自分の立ち位置が客観的に分かってしまう。独自路線は、低い評価値とセットの、自虐交じりの選択肢になりかねない。個性を出すことは自殺行為になりかねない。

 そのようなプロ棋士の立場を理解しつつ観戦する。昔のように楽しむにはどうすればいいのか。

 ともあれ、つくづく、自分はいい時代に羽生世代という奇跡の世代の激闘を見ることができて、幸せだったと思う。