刮目呂蒙のブログ

都内在住の30代男です。時事問題や生活改善情報から、自分の周りのことまで。たまに持病(潰瘍性大腸炎)のことも。

不動産の広告で時々見る「住まう」ってなに?

不動産の広告には、時々、「〇〇(地名)に住まう。」「高級感漂う△△台に住まう。」などというキャッチコピーが入っている。

私は、「住まう」という動詞には違和感がある。こんな言葉あったっけ?なんだこの言葉は?という感覚だ。「住む」じゃダメなのか?とも思う。

同じように感じる人もいるのではないか。業界用語なんだろうか。少し調べてみた。

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1 意味と由来

goo辞書によると、「住んでいる」「住み続ける」という意味の動詞。なるほど、確かにこの言葉は存在する。私が知らなかっただけだった。

成り立ちは、

「住ま(「住む」の未然形)」+「ふ(反復継続の助動詞)」

だという。

反復継続の「ふ」?なんだそれ?古文でもそんな助動詞は習わなかったはずだが。

調べてみると、万葉集に使用例があったが、

 

①「糟湯酒(かすゆざけ)うちすすろひて…」(山上憶良貧窮問答歌」の一節)

訳例:糟湯酒をすすりすすりして。

※「すすろふ」は本来「すすらふ」であり、すするの未然形「すすら」に「ふ」が付いているという。

 

②「三輪山(みわやま)をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや」(額田王の和歌)

「隠さふべしや」の訳例は、「隠しておいてよいのだろうか」など。「隠す」の未然形「隠さ」に「ふ」が付いている。

 

うーんマニアック。

平安時代以降は、助動詞「ふ」は、自由には使われなくなり、特定の動詞にのみ付けて用いられる接尾語になったようだ。

その代表例には「願ふ(願う)」、「語らう(語らふ)」、「交じらふ(交じらう)」などがあり、「住まふ(住まう)」もその系列だ。

意外にも、助動詞「ふ」由来の言葉は古語を中心に他にも結構あるようだ(祝う「ほかう」)など。

 

2 ニュアンス

古語といわれてみると、「語らう」とか、「交じらう」などの言葉には、なんとなく、古くからの人間味を感じさせるぬくもりのような感覚がある。「願う」には、「お願いする」よりも直感的に働きかけてくるニュアンスがある気がする。

「住まう」も、そのような流れで考えてみると、なんとなく、単に「住む」よりも、その場所やそこにいる人に溶け込んでいくような、接着していくようなニュアンスが感じ取れないだろうか。もともとは「こんな言葉あるの?」と疑問に思う気持ちが強かったが、それがなくなってみると、このような感覚が強くなった気がする。

少しわき道にそれるが、古文の勉強は音読が有効といわれる。読めばなんとなく分かるからだ。幼少からシャワーのように浴びる日本語の中に、古文の意味合いを感じ取れる何かがもともと含まれているのだろうと思う。古語由来の「住まう」を含む助動詞「ふ」の付く言葉も、なんとなく本来の意味合いを感じ取れる気がする。

 

3 まとめ

そんなわけで、「住まう」は古語由来の「住み続ける」という意味の言葉だった。

「語らう」「願う」などと同じ、反復継続の意味を持つ古い助動詞「ふ」を接尾語に持ち、住む場所、地域や人のぬくもりを感じさせるような雰囲気の言葉に感じる。

 

不動産広告のキャッチコピーとして「住まう」を使う場合は、言葉だけ見れば、建物、自然、地域やそこに住む人々に包み込まれるような雰囲気を醸し出している気がする。もちろん、広告に使う写真等のデザインによっても、広告全体の与える印象は変わってくるだろうが。

居続けたくなる地域、あるいは良好な建物の仕様・デザイン・環境、住民の人柄など、ポジティブな特徴と併せて「住まう」を使うことで、より効果的なヌクモリティを漂わせることができるのではないかと思う。