刮目呂蒙のブログ

都内在住の30代男です。時事問題や生活改善情報から、自分の周りのことまで。たまに持病(潰瘍性大腸炎)のことも。

今月の学びのまとめメモとか④

こんにちは呂蒙です。

今回も引き続き、この1か月での学びのまとめをします。

 

・「業務妨害」の罪 (何が「業務妨害」に当たるかの限界は不明確)

 刑法に業務妨害の罪というのがある。威力、偽計によるものと、電子計算機損壊等によるものが定められている。かなりふわっとした規定に見えるので、これらの適用範囲を感覚的につかみたいと思った。

 何が「威力」なのかは、一応、「客観的に被害者の自由意思を制圧し得る勢力」という定義らしいが、目に見える方法での妨害がかなり「威力」に含まれているようにも見える。

 「偽計」も、「人を欺き、あるいは人の錯誤や不知を利用すること」というようになっているが、目に見えない方法での妨害が広く含まれているようにも見える。ただし、軽犯罪法に「悪戯」(いたずら)による業務妨害罪があるので、いたずらに分類されるような小賢しいものは「偽計」には当たらないようだ。

 業務妨害罪という犯罪を作って守ろうとしているものは、「人の業務活動の円滑な遂行そのもの」だと理解される。もしこれを「人の業務遂行の自由」というふうに考えると、自由な活動自体を妨害はしていないけれども業務に影響が出るような妨害行為には適用できないからだ。

 業務というと会社のような営利目的の継続的活動が想定されるが、継続性がある又は予定されている限り、非営利の事務や事業でも業務に含まれるらしい。ただし、公務執行妨害罪との関係で、「強制力を行使する権力的公務」の遂行については、業務妨害罪の「業務」から除かれるようだ。その限界についてもかなり細かい議論があるようだ。

 どの程度妨害したら犯罪になるか。これは、「どういう業務」の妨害とみるかで違うようだ。裁判例を見てみると、かなり具体的な業務内容を想定したうえで、その遂行が妨げられる危険があった、というように把握して、要するに業務妨害の「危険」があれば既に犯罪だという。

 これに対して、学説を頑張ってみてみると、抽象的な業務を想定したうえで、その遂行が現に妨害された、というように把握して、要するに業務の現実的な妨害(侵害)がないと犯罪にならないという。

 結論はあまり変わらないようにも思える。実際は裁判例のように使われているわけだから、具体的業務の危険犯というふうに考えればよさそうだ。

 ・電子計算機損壊等業務妨害

 なお、「電子計算機損壊等業務妨害」という犯罪もある。「損壊等」とはいいながら、かなりいろいろな行為類型が含まれている。

 業務用の電子計算機の

 「損壊」、「虚偽の情報」の入力、「不正な指令」の入力、「その他の方法」

により、

 電子計算機の使用目的に

 沿う動作をさせず、又は沿わない動作をさせて

業務妨害をした

というもの。

 「偽計」との限界が問題になる(刑の重さが電子計算機のほうが重いため)が、コンピューターが用途と違う動作をして業務が妨害されたら電子計算機損壊等業務妨害罪で、その間に人の錯誤や不知が介入して業務が妨害されたら偽計業務妨害罪なのかな、とひとまず整理しておくことにする。

 

・信用毀損とは (名誉毀損と比較)

 ところで、偽計業務妨害の罪と同じ条文に、信用毀損罪の条文がある。同じ条文だが、守ろうとしているものは違うというふうに理解するらしい。

 つまり、信用毀損の方は、「経済的側面における人の社会的評価」を守ろうとしているという。

 「信用」というと、狭い意味では、「その人がお金を返せるかどうか」というだけだが、広い意味では、例えば「その人の売っている商品の品質に問題がないか」なども信用といえば信用だ。この信用毀損罪は、広い意味の「信用」を保護するものらしい。

 ただし、この信用毀損罪が成立するためには、「虚偽の風説を流布し」たといえなければならない。ここが名誉毀損罪と違うところだ。

 名誉毀損罪は、公然と事実を摘示して人の社会的評価を低下させれば、「その事実の有無にかかわらず」成立してしまう。そして、「その事実の社会的摘示は公的な利益を図るためです」、「そしてその事実の内容は真実です」などと証明することができれば(あるいは真実だと思ったことに相当の理由があれば)、ようやく犯罪が成立しなくなる、という構造になっている。

 これに対して、信用毀損罪は、その風説が「虚偽」だといえないと、そもそも犯罪が成立しない。

 人の人格的評価に比べた経済的評価に対する刑法の態度が見えるかのようだ。もしかすると、経済的評価のほうが、もともといろいろ言われても仕方のない社会的活動であり、より自由な批判にさらされるべきだということかもしれない。

 「虚偽」の風説とは、「確実な資料・根拠がないこと」だという学説や裁判例もあるようだが、それだと、実は真実だと後からちゃんと分かった風説の流布が、その時は「虚偽」だということにされてしまう。かといって、「断定できないことを断定した」という限りだとすると、断定口調でない限り何を言ってもいいことになりかねない。嘘を嘘だと証明するのは難しいことがあるから、この犯罪の限界は実は難しいように思う。とりあえず、裁判例があるなら、「確実な資料・根拠がないこと」をもって「虚偽」だと認定される可能性があるという感覚をつかんでおきたい。

 「流布」というのは、結局不特定又は多数の人に知れ渡るような発信の仕方のことらしい。ネット社会では、よほど特定少人数のクローズドなアプリ内のみなどでない限りは、基本的に「流布」に当たり得ると思ってよさそうだ。

 

学びのまとめメモ、まだまだ続きます。